長崎の街角スナップ 興福寺編 [長崎の街角 宗教]
国指定重要文化財 東明山 興福寺に行ってきました。
国内奢侈の黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の唐寺で、中国・明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人が
1620年ごろ渡航安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。
黄檗宗東明山 興福寺
国内奢侈の黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の唐寺で、中国・明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人が
1620年ごろ渡航安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。
佐賀市内から小学生が修学旅行に来ていました。
黄檗宗東明山 興福寺
長崎の街角スナップ 平和公園の夜編 [長崎の街角 夜景]
平和公園の夜景です。
平和公園には各国から寄贈された像がライトアップされていました。
※今回も前回と同様にEF-S 10-22mm F3.5-4.5 USMでの撮影です。
月の明かりを頼りにピントをマニュアルで合わせながら撮影を試みました。
RAWからの変換時に色温度(黄色系→青色系)とシャープネスを調整しました。
平和公園
平和公園には各国から寄贈された像がライトアップされていました。
人生の喜び : チェコスロバキアより寄贈
平和 : ソビエト連邦より寄贈
乙女の像 : 中華人民共和国より寄贈
平和記念像
※今回も前回と同様にEF-S 10-22mm F3.5-4.5 USMでの撮影です。
月の明かりを頼りにピントをマニュアルで合わせながら撮影を試みました。
RAWからの変換時に色温度(黄色系→青色系)とシャープネスを調整しました。
平和公園
長崎の街角スナップ 原爆公園の夜編 [長崎の街角 夜景]
原爆公園の夜景です。
原爆公園に行ってみると静寂に包まれた空間に原爆落下中心碑がひっそりとライトアップされていました。
公園に入ると正面に広場があります。
※全て EF-S 10-22mm F3.5-4.5 USM にて撮影しており、
三脚を使用してISO800・Av F3.5-4.5固定でTv 2~4secですから少し雲が動いています。 夜の撮影ではピント合わせに苦労しました。 1・2枚目のピントはマニュアルでフォーカスを合わせ、3・4枚目はオートフォーカスです。 超広角レンズですからシビアにピントを合わせなくても大丈夫だったようです。 ローアングルから空に向けての撮影でしたので、ファインダーを覗くのが大変で肩がこりました。
原爆公園に行ってみると静寂に包まれた空間に原爆落下中心碑がひっそりとライトアップされていました。
公園に入ると正面に広場があります。
右方向には被爆50周年記念事業碑があります。
そして左方向に原爆落下中心碑が煌々と輝いています。
※全て EF-S 10-22mm F3.5-4.5 USM にて撮影しており、
三脚を使用してISO800・Av F3.5-4.5固定でTv 2~4secですから少し雲が動いています。 夜の撮影ではピント合わせに苦労しました。 1・2枚目のピントはマニュアルでフォーカスを合わせ、3・4枚目はオートフォーカスです。 超広角レンズですからシビアにピントを合わせなくても大丈夫だったようです。 ローアングルから空に向けての撮影でしたので、ファインダーを覗くのが大変で肩がこりました。
長崎の海岸線スナップ 自然干陸地フラワー編 [長崎の海岸線 風景]
自然干陸地フラワーゾーンのコスモスを見てきました。
ここは、季節によって蓮、菜の花、菖蒲、コスモスが楽しめます。
ここは、季節によって蓮、菜の花、菖蒲、コスモスが楽しめます。
※佐賀方面です。
※島原半島方面です。
長崎の街角スナップ シーボルト記念館編 [長崎の街角 施設]
シーボルト記念館に行ってきました。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、江戸時代の日本に近代西洋医学を伝え、
また科学的な総合調査にもとづいてヨーロッパに日本を広く紹介しました。
シーボルト記念館 平成元年(1989年)10月1日会館
1796年2月17日 バイエルン王国のヴェルツブルクに生まれる
1823年 長崎到着 (27歳)
1824年 鳴滝塾をひらく (28歳)
1828年 シーボルト事件おこる (32歳)
1829年 国外追放 (33歳)
1832~1835年 「日本」 「日本動物誌」 「日本植物誌」 刊行開始
1859年 再渡来、長崎到着 (63歳)
1862年 離日 (66歳)
1866年10月18日 ミュンヘンにて死亡 (70歳)
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、江戸時代の日本に近代西洋医学を伝え、
また科学的な総合調査にもとづいてヨーロッパに日本を広く紹介しました。
シーボルト記念館 平成元年(1989年)10月1日会館
1796年2月17日 バイエルン王国のヴェルツブルクに生まれる
1823年 長崎到着 (27歳)
1824年 鳴滝塾をひらく (28歳)
1828年 シーボルト事件おこる (32歳)
1829年 国外追放 (33歳)
1832~1835年 「日本」 「日本動物誌」 「日本植物誌」 刊行開始
1859年 再渡来、長崎到着 (63歳)
1862年 離日 (66歳)
1866年10月18日 ミュンヘンにて死亡 (70歳)
右奥に見えるのがシーボルト記念館です。
若かりし頃のシーボルトです。
シーボルト記念館の入り口です。
1階は撮影OKですが、2階以上は撮影禁止でした。
シーボルト記念館に所蔵されている資料を拝見させてもらいました。
シーボルト宅跡です。