長崎の街角スナップ 長崎市科学館編 [長崎の街角 施設]
長崎市科学館
長崎の街角スナップ シーボルト記念館編 [長崎の街角 施設]
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、江戸時代の日本に近代西洋医学を伝え、
また科学的な総合調査にもとづいてヨーロッパに日本を広く紹介しました。
シーボルト記念館 平成元年(1989年)10月1日会館
1796年2月17日 バイエルン王国のヴェルツブルクに生まれる
1823年 長崎到着 (27歳)
1824年 鳴滝塾をひらく (28歳)
1828年 シーボルト事件おこる (32歳)
1829年 国外追放 (33歳)
1832~1835年 「日本」 「日本動物誌」 「日本植物誌」 刊行開始
1859年 再渡来、長崎到着 (63歳)
1862年 離日 (66歳)
1866年10月18日 ミュンヘンにて死亡 (70歳)
長崎の街角スナップ 永井隆記念館編 [長崎の街角 施設]
8月中旬、長崎市永井隆記念館を訪れました。 (長崎市名誉市民 第1号)
※館員より、館内の撮影許可をいただきました。
1908 島根県松江市にて出生
1932 長崎医大を首席で卒業
物理的療法科で放射線医学を専攻 (助手)
1937 長崎医大講師となる
1944 医学博士
1945 慢性骨髄性白血病で「余命3年」と診断される
原爆被災
1946 長崎医大教授
長崎医学会で研究発表「原子病と原子医学」
1948 如己堂に移り住む
1951 5月1日 長崎医大で亡くなる (43歳)
如己堂 ・・・ 己の如く他人を愛す、という意味。 (2畳ひと間きりの家)
人類愛に満ちた研究者 (医学博士)
如己堂の中です。
永井隆記念館の入り口に
世界の平和を祈る人
館内です。
作家そして父
昭和25年5月14日、教皇ピオ12世より賜ったロザリオです。
・・・永井隆博士が見ていたであろう川の流れを眺めながら、その業績を回顧しました。・・・
長崎の街角スナップ 雲仙岳災害記念館編 [長崎の街角 施設]
島原市の最後です。 雲仙岳災害記念館 (がまだすドーム) に行ってきましたので、ご紹介します。
駐車場から真直ぐ進むと
雲仙岳災害記念館の全景が見えてきます。
入り口では
がんたくん と めぐみちゃん が出迎えてくれます。
・・・・・・・・・入場してみましょう。・・・・・・・・・
島原の模型でスイッチを押すと火砕流が再現されます。 これは2回目の火砕流の再現です。
島原の市街地が右下です。
奥に進むと
床下に火砕流で焼けた木が横たわっていました。
火砕流の写真です。
すごい迫力!
館内の奥からの眺めです。
壁が曲線で形成されています。
カップルや
若者も
見入っています。
火砕流が通った後の再現です。
ジープの上から撮影しました。
他の展示の状況です。
災害当時の写真が壁に描かれており
当時の悲惨さが伝わってきました。
遺品の展示もありました。
このカメラマンは・・・
外にでてみると
螺旋の通路がありました。
館内で暫し休憩しました。
そして、帰路につきました。
・・・・・・そうそう、私の友人を紹介します。・・・・・・
私の友人です。
またいつか会える日を楽しみにしています。
長崎の街角スナップ サンセットマリーナ編 [長崎の街角 施設]
長崎市福田本町のサンセットマリーナをご紹介します。
あいにくの曇り空でしたので、雰囲気だけでも伝わればと思います。
サンセットマリーナ全景
道を下って正面玄関です。
中に入るとゆったり座れるソファー、
レストランがあります。
外に出てみるとボートが整然と並んでいました。
ここから海へ船出します。
振り返ると、こんな感じです。
長崎サンセットマリーナからお届けしました。
あれっ、CMみたいになっちゃった!