長崎の街角スナップ 長崎県美術館編2 [長崎の街角 施設]
長崎県美術館を外から眺めてみると様々な時の過ごし方に出会います。
カフェでは三人の女性達が楽しそうです。
屋上庭園では二人で恋を語り合っています。
運河ギャラリー近くのソファーでは一人で瞑想されています。
-私はと言うと、相変わらず鏡の中の私に人の人生をスナップする意味を問いかけています。-
長崎の街角スナップ 平和編 [長崎の街角 施設]
今回は長崎原爆資料館で開催されている"山頭範之写真展 イラク+アフガン⇒ダイアリーズ"をご紹介します。
開催期間 : 2008.4.25(FRI) ⇒ 7.14(MON)
会場 : 長崎原爆資料館企画展示室
http://www.city.nagasaki.nagasaki.jp/abm/index.html
料金 : 長崎原爆資料館観覧料が必要です
大人200円・小中高校生100円
山頭範之 | やまがしら のりゆき |
1974 | 長崎県生まれ
2001 | 米国同意多発テロ後の戦火に晒されるアフガニスタン撮影
2002 | 酒田市・土門拳文化賞
2003 | 戦後のイラク撮影
「バグダット報告」長崎新聞連載
2004 | EPSON COLOR IMAGING CONTEST・エプソン賞
2005 | 「大黒島に生きる」朝日新聞北海道版・戦後60年企画掲載
上野彦馬賞・日本写真芸術学会奨励賞
2006 | エスクァイア日本版デジタル写真賞・ピクトリコ賞
「The Afghan Diaries」長崎県美術館開催
2008 | 「イラク+アフガン⇒ダイアリーズ」長崎原爆資料館開催
yamato_n49@hotmail.com
http://www.yamatou.com/
※山頭範之さんのご経歴は、写真展案内状とHPより転記しました。
開催期間 : 2008.4.25(FRI) ⇒ 7.14(MON)
会場 : 長崎原爆資料館企画展示室
http://www.city.nagasaki.nagasaki.jp/abm/index.html
料金 : 長崎原爆資料館観覧料が必要です
大人200円・小中高校生100円
山頭範之 | やまがしら のりゆき |
1974 | 長崎県生まれ
2001 | 米国同意多発テロ後の戦火に晒されるアフガニスタン撮影
2002 | 酒田市・土門拳文化賞
2003 | 戦後のイラク撮影
「バグダット報告」長崎新聞連載
2004 | EPSON COLOR IMAGING CONTEST・エプソン賞
2005 | 「大黒島に生きる」朝日新聞北海道版・戦後60年企画掲載
上野彦馬賞・日本写真芸術学会奨励賞
2006 | エスクァイア日本版デジタル写真賞・ピクトリコ賞
「The Afghan Diaries」長崎県美術館開催
2008 | 「イラク+アフガン⇒ダイアリーズ」長崎原爆資料館開催
yamato_n49@hotmail.com
http://www.yamatou.com/
※山頭範之さんのご経歴は、写真展案内状とHPより転記しました。
長崎原爆資料館に着きました。
入口に続く螺旋スロープを歩いて
写真展会場へ
※左下に女の子の姿、右側には私が撮影する姿が写り込んでいました。
-イラクとアフガンで生きる人々の暮らしが鮮明に撮影されていました。-
この空間で人種も宗教も異なる人々が平和について語り合う姿を思い描き
友達になれることを願いました。
-今日6月23日は沖縄慰霊の日・日米安全保障条約発効の日です。-
長崎の街角スナップ ナガサキピースミュージアム編 [長崎の街角 施設]
今回はナガサキピースミュージアムをご紹介します。
ナガサキピーススフィア貝の火運動は、「長崎に平和発信ミュージアムをつくろう」というさだまさしの呼びかけにより、
1995年に発足しました。
以来、全国に約150名のボランティアが生まれ、パネル展、広報活動などを行っています。
運動の拠点及び平和情報を発信する場としてのナガサキピースミュージアムを建設し、維持していくために、
運動は2002年3月、長崎県からNPO(特定非営利活動法人)としての認可を受け、新体制のもとスタートしました。
ナガサキピースミュージアムは2003年4月に落成・開館しました。
※上記文章は全てナガサキピースミュージアムのホームページより抜粋しております。
館内におられた館員(大学生)の方からボランティア活動のお話を伺い、
各国の子供たちの様子などを纏めたDVDを見せていただきました。
アフリカで栄養失調の子供一人が平均体重に戻るまでの3ヶ月間の食費が2500円ということを聞いて驚き、
日々を振り返ると全てが贅沢なのではと気づかされた空間で、帰り際には心ばかりの募金をしていました。
ナガサキピースミュージアム・ピーススフィア貝の火運動のホームページはこちらです。
http://www.nagasakips.com/index.html
ナガサキピーススフィア貝の火運動は、「長崎に平和発信ミュージアムをつくろう」というさだまさしの呼びかけにより、
1995年に発足しました。
以来、全国に約150名のボランティアが生まれ、パネル展、広報活動などを行っています。
運動の拠点及び平和情報を発信する場としてのナガサキピースミュージアムを建設し、維持していくために、
運動は2002年3月、長崎県からNPO(特定非営利活動法人)としての認可を受け、新体制のもとスタートしました。
ナガサキピースミュージアムは2003年4月に落成・開館しました。
※上記文章は全てナガサキピースミュージアムのホームページより抜粋しております。
正面入口側の外観です。
中に入ってみましょう。
館内には各国の状況を説明したパネルが展示してありました。
館内奥からの全景です。
この左側の壁は開閉式になっています。
開閉式の壁を開くと平和のモニュメント「宙(そら)へ」が現れます。
天井の隅にはステンドグラスが輝いていました。
館内におられた館員(大学生)の方からボランティア活動のお話を伺い、
各国の子供たちの様子などを纏めたDVDを見せていただきました。
アフリカで栄養失調の子供一人が平均体重に戻るまでの3ヶ月間の食費が2500円ということを聞いて驚き、
日々を振り返ると全てが贅沢なのではと気づかされた空間で、帰り際には心ばかりの募金をしていました。
ナガサキピースミュージアム・ピーススフィア貝の火運動のホームページはこちらです。
http://www.nagasakips.com/index.html
長崎の街角スナップ むつごろう水族館編 [長崎の街角 施設]
諫早市の干拓の里には むつごろう水族館 があります。
現在では諫早湾干拓地も堤防の水門が閉められて農地化してしまい、
開発前には至る所に生息していたむつごろうもほとんど見る機会がなくなりましたが、
この むつごろう水族館 では、かわいく飛び跳ねる姿を間近で見ることが出来ます。
室内が若干暗く、歪曲した水槽ごしに むつごろう を撮影したため、少しブレた写真になってしまいました。
2007年9月23日 長崎の街角スナップ 干拓の里編 で馬事公苑をご紹介しましたが、
その時に むつごろう水族館 も撮影していたのを思い出し、今回ご紹介いたしました。
全て2007年9月22日撮影です。
現在では諫早湾干拓地も堤防の水門が閉められて農地化してしまい、
開発前には至る所に生息していたむつごろうもほとんど見る機会がなくなりましたが、
この むつごろう水族館 では、かわいく飛び跳ねる姿を間近で見ることが出来ます。
室内が若干暗く、歪曲した水槽ごしに むつごろう を撮影したため、少しブレた写真になってしまいました。
2007年9月23日 長崎の街角スナップ 干拓の里編 で馬事公苑をご紹介しましたが、
その時に むつごろう水族館 も撮影していたのを思い出し、今回ご紹介いたしました。
全て2007年9月22日撮影です。
長崎の街角スナップ 日本二十六聖人編 [長崎の街角 施設]
日本二十六聖人殉教地史料館に行ってきました。
豊臣秀吉は長崎がイエズス会に寄進されていることに怒り、天正15年(1587年)にバテレン追放令を出しました。
10年後、京都や大阪などの信者や宣教師を捕らえて長崎に送り、見せしめのために処刑することにしました。
処刑された場所は西坂の丘で、彼らはのちにローマ法王から「聖人」に列せられました。
日本二十六聖人殉教地史料館にはザビエルの手紙やマリア観音などキリシタン関係の資料が展示されています。
豊臣秀吉は長崎がイエズス会に寄進されていることに怒り、天正15年(1587年)にバテレン追放令を出しました。
10年後、京都や大阪などの信者や宣教師を捕らえて長崎に送り、見せしめのために処刑することにしました。
処刑された場所は西坂の丘で、彼らはのちにローマ法王から「聖人」に列せられました。
日本二十六聖人殉教地史料館にはザビエルの手紙やマリア観音などキリシタン関係の資料が展示されています。
タグ:長崎 日本二十六聖人殉教地史料館
長崎の街角スナップ ド・ロ神父編 [長崎の街角 施設]
ド・ロ神父記念館に行ってきました。
ド・ロ神父は外海地方の産業・社会福祉・土木・建築・医療・教育文化などに奉仕されました。
長崎市ド・ロ神父記念館の紹介ページです。
ド・ロ神父は外海地方の産業・社会福祉・土木・建築・医療・教育文化などに奉仕されました。
ド・ロ神父像
ド・ロ神父記念館
遺品のオルガンを弾いていました。
長崎市ド・ロ神父記念館の紹介ページです。
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/bunkazai/sisetsu/doro.html
http://www.at-nagasaki.jp/archives/003/16.html
長崎の街角スナップ 遠藤周作文学館編 [長崎の街角 施設]
遠藤周作文学館に行ってきました。
小説「沈黙」の舞台となった長崎市外海地区に約3万点にも及ぶ遺品・生原稿・蔵書等をご遺族から寄贈・寄託されて
平成12年5月に「外海町立遠藤周作文学館」として会館しています。
その後、平成17年1月の市町合併により「長崎市遠藤周作文学館」と名称を変更しています。
遠藤周作文学館のHome Pageは以下のアドレスです。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/endou/
小説「沈黙」の舞台となった長崎市外海地区に約3万点にも及ぶ遺品・生原稿・蔵書等をご遺族から寄贈・寄託されて
平成12年5月に「外海町立遠藤周作文学館」として会館しています。
その後、平成17年1月の市町合併により「長崎市遠藤周作文学館」と名称を変更しています。
館内の資料は撮影禁止でしたので、窓からの眺めを許可を得て撮影しました。
遠藤周作文学館のHome Pageは以下のアドレスです。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/endou/